訴訟相手を「パテント・トロール」と呼ばない人
「日経エレクトロニクス」の2009年3月9日号に掲載した特集「特許で揺らぐ無線LAN」の取材で,パソコン関連機器メーカーのバッファローを訪れたときのことだった。筆者の発言をたしなめるようにバッファローの知的財産担当者が発したのが,冒頭の言葉である。
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL/20090306/166837/
無線LANに今,特許問題という暗い影がさしている。オーストラリアの国立研究機関であるCommonwealth Scientific and Industrial Research Organisation(CSIRO)と,カナダのWi-LAN Inc.がそれぞれ,「自社の特許を侵害している」として無線LAN関連機器を手がけるメーカーなど多数の企業を米国で訴えているのだ。両者の一方,あるいは両方から訴えられた企業の数は合計で30社を超える。
この特許問題を追っていた筆者がバッファローを訪れたのは,同社がこの問題の矢面に立たされているからだ。CSIROの特許(米国特許番号5,487,069,以下069特許)をバッファローが侵害しているとして米国テキサス州東部地区裁判所にCSIROが訴えたのは2005年2月のことだった。
それから4年の間,さまざまなことがあった。同地区裁判所はCSIROの主張を認め,バッファロー製品の米国での販売が一時差し止められることになった。バッファローは控訴し,その控訴審では地区裁判所に差し戻す判決を下した。差し戻し訴訟は,この2009年春に陪審による審理が行われる予定である。4年間が経過して振り出しに戻った訴訟で下される判決は,無線LAN機能を搭載する機器全般に大きな影響を及ぼしかねない。
バッファローの知的財産担当者は,冒頭の発言の後,こう続けた。「CSIROは化学分野などに強い,れっきとした研究機関。今回問題になっている069特許も,自分たちで発明して出願したものです。『パテント・トロール』という言葉に明確な定義はありませんが,CSIROに対してそういう表現は使うべきではないと思っています」。
取材を進めていくうちに,この発言の真意が見えてきたように感じた。そもそも,標準規格をめぐって特許問題が起こること自体は珍しくない。シンクロナスDRAMなどにおける特許侵害を米Rambus, Inc.が訴えた例や,JPEGに関する特許のライセンスを米Forgent Networks, Inc.がデジタル・カメラ・メーカーに持ち掛けた例などは,覚えている人も多いだろう。
今回の無線LANでの特許問題が従来と異なるのは,CSIROやWi-LAN社が,標準化団体(無線LANではIEEE Standard Association)が推奨する特許の取り扱い手順にのっとっているにもかかわらず問題が起きたことである。CSIROもWi-LAN社も,IEEE-SAによる特許保有者の募集に手を挙げて,「RAND(合理的かつ非差別的)」条件でのライセンス提供を行うことを宣言している。
特許の保有者がライセンス料を要求するのは正当な行為だ。そして,「合理的で非差別的なライセンス条件だ」としてライセンス料を提示している限り,CSIROやWi-LAN社の行為が不当とはいえない。それが,バッファローの知的財産担当者の発言の真意だったように思う。今回の特許問題は,標準化団体が特許ポリシーとして求めてきたRANDというあいまいなライセンス条件が,製品を手掛けていない特許権者との契約において無力であることを明るみに出したのである。
標準規格は,技術を普及させたり,相互接続性を高めたりするために,今後も欠かせない手段であろう。さらに,標準規格が必須とする特許は,技術の複雑化によって数が増える傾向にある。無線LANで今起こっているような特許問題が増えていく可能性は高い。もし何も対策を打たなければ,特許のライセンス料が製品コストの大半を占めるような状況になってしまうかもしれない。
特許の問題から目を背けてきた標準化団体も,ようやく重い腰を上げたようだ。標準化と特許の問題は,一朝一夕に解決するものではない。それでも,特許の保有者と利用者の両方が満足できる枠組み作りに向けて業界全体が一歩一歩進んでいくことを願ってやまない。